コヴェント・ガーデン→フリーメイソン→ウィンストン・チャーチル→議事堂 ベッド 黒い犬→
国連大学 ベッド 精神疾患→専門家 女官 中町芙佐子氏→インド→イギリス→コヴェント・ガーデン
ttp://www.ils.chukyo-u.ac.jp/kyoin_intro/detail.php?id=41
中京大学
教員紹介
より引用
栂 正行 教授
...
主な著書・論文
著書:
『ヨーロッパの光と影』(共著、勁草書房、12年)
『現代インド小説の世界』(共編著、鳳書房、11年)
『多元を生きる』(共著、勁草書房、11年)
『空間・人・移動』(共著、勁草書房、06年)
『コヴェント・ガーデン』(河出書房新社、99年)
訳書:
D・アレクサンダー他『自由の精神』(共訳、本の泉社、12年)
R・キプリング「兵卒オーゼリスの狂気」『キプリング傑作選』(鳳書房、08年)
S・シャーマ『風景と記憶』(共訳、河出書房新社、05年)
A・ダグラス『タロット』(河出書房新社、新装版、05年)
V・Sナイポール『中心の発見』(共訳、草思社、03年)
C・パーリャ『性のペルソナ(下)』(共訳、河出書房新社、98年)
R・キャヴェンディシュ『魔術の歴史』(河出書房新社、97年)
M・カリネスク『モダンの五つの顔』(共訳、せりか書房、新装版、95年)
R・キャヴェンディシュ『黒魔術』(河出書房新社、92年)
論文:
「Vikram Seth の大河小説」『英語青年』(研究社、04年2月)
「ビスワス氏の家のV・S・ナイポール」『英語青年』(研究社、01年9月)
「V・S・ナイポールの起源」『大航海』(新書館、01年、No39)
書評:
高本孝子他編『新世紀の英語文学』(「図書新聞」、12年1月26日)
J・コンラッド『ロード・ジム』(『WEB英語青年』、11年10月)
木村茂雄・山田雄三編『英語文学の越境』(『WEB英語青年』、11年4月)
(引用終わり)
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1351310489
皇室御一行様★part2453
より引用
370 :可愛い奥様:2012/10/28(日) 00:15:39.82 ID:CM6deXr60
... >>368
...アメリカで人格障害を学んだ女官は最初から居たんじゃなかった?
374 :可愛い奥様:2012/10/28(日) 00:31:52.30 ID:Qy27KqpW0
...
中町芙佐子 平成5年(1993年)6月23日~平成11年(1999年)3月11日
『女性セブン』2004年7月8日号<深層スクープ「うつ病」「強迫神経症」否定もメンタル面の
専門医が対応
皇太子妃雅子さま(40)「セラピスト女官」との別離>曽我剛東宮侍従長01年9月死去、
「セラピスト女官」中町芙佐子氏(1993年6月23日東宮女官になる)が1999年3月退職、
当人にインタビューしたもののその理由は答えず、という内容。
『週刊ポスト』2006年5月5・12日合併号<秘話公開 雅子妃と東宮女官「かくも長き軋轢」>
最近雅子妃の外出がとみに増えている。
しかしそんな中、最近2人の女官が辞めたという話が広まっている、99年に雅子さまの相談
相手といわれたセラピストのキャリアを持つ女官が退官し、
その後03年になって東宮女官長A女史も退官した、という内容。
『テーミス』2009年5月号<公務復帰が注目される中 雅子さまを巡る「東宮女官」の微妙な関係>
セラピスト女官中町芙佐子氏(臨床心理士、元家裁調査官)
:'82年に夫を亡くした後渡米し、セラピストの訓練を受ける/ニューヨークの病院では躁うつ
病や統合失調症など、種々の心の病に苦しむ患者の信頼を得る
/海外でのキャリアもあるので雅子との会話にも共通性があり、雅子も相当打ち解けていた
(宮内庁関係者の話)
376 :可愛い奥様:2012/10/28(日) 00:37:52.66 ID:Qy27KqpW0
『ミカドと女官 菊のカーテンの向こう側』(小田部雄次著、扶桑社文庫 2005年1月発行)
p261-263より引用
中町芙佐子は、「福祉の現場における情緒障害児や精神障害者(児)の相談や心理療法」、
「海外のソーシャルワーカーと我が国の社会福祉士との活動の比較研究」を専門としている
職業婦人であった。
中町は昭和十七年生まれ、大阪大学文学部哲学科卒業、家族社会学を専攻し、鳥取、大阪
の家庭裁判所で調査官をつとめた。退職後、大阪児童相談所で情緒障害児の治療にあた
った。昭和五十七年に夫を亡くし、
ニューヨークのコロンビア大学院に留学、精神障害児のセラピストとして、市立ウッドホール
病院精神科に勤務した。
平成四年には、カレン・ホーナー・クリニックにて、適応障害、人格障害など精神症患者への
対処法を学んだ。平成五年に五十一歳にて東宮女官に就任し、平成十一年までつとめた。
(中略)現在、中町は東京家政学院大学教授として、社会福祉に関する研究と講義に専念
している。近年の研究に「インドにおける障害児対策の推移:1980年代から2000年」などが
ある。
中町が女官に起用された背景には、宮中入りする雅子妃のよきカウンセラーたることへの
期待があった。これは一つに、美智子皇后の過去の経験を克服するためであった。
もう一つは、外国語ができて、外国事情に詳しい人を配することによって、雅子妃の生活環境
を整えるためであった。雅子妃の女官選定には、当初から周到な配慮がなされていたので
あった。
結婚して十年後に「適応障害」という耳慣れない病状を公表された雅子妃であるが、結婚
当初から、「適応障害」の専門家が女官として配されていたのには、驚きがある。
一体、皇室あるいは宮内庁は何を予想してそのような人事をしたのだろうか。
そして、中町はなぜ辞任したのだろうか。現在、中町は職を辞して、宮中のことについては
慎み深い態度で沈黙を保っており、一切は不明である。
(引用終わり)