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薬姦犠牲者現東宮妃御成婚1993年6月青土社マインド・サイエンス情報誌imagoの特集は幼児虐待

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児童相談所→麻薬慰安婦傾奇者製造飼育工場か… 
虐待通報ダイヤルの担当者も通報者も匿名であることは、かなり怪しい利権に絡んでいるから
か…


<実質カフェ麻薬強姦合法のオランダ等の海外王室は麻薬変態カルト盗撮恐喝の真相を知って
いる>
ttp
://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1450979678/
皇室御一行様★part3052 [無断転載禁止]©2ch.net
より引用
389 : 可愛い奥様@転載は禁止2015/12/25(金) 23:43:56.62 ID:C7HxsFxH0
出自怪しい小和田家が皇室に入り込めたのは何故かと考えれば答えは限られてきます。
クラスに敏感な海外王室は真相を知っているでしょうね。
(引用終わり)


ttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1450857816/
皇室御一行様★part3051 [無断転載禁止]©2ch.net
より引用
472 : 可愛い奥様@転載は禁止2015/12/24(木) 13:38:34.47 ID:Os+r69aF0
 「...ドロシー・ロー・...ノルトです。...子どもの詩を載せております。
...一年前の2月に皇太子殿下にこの本を差し上げ
て、この詩を朗読しましたら、殿下は大変感動されて5日後の
お誕生日の記者会見で読まれていらっしゃいます。
...スウェーデンでは、ポスターは規制されておりますけれども
この子どもの詩を、児童虐待を監視する組織ピンク色のポスターでこの詩
を掲げています。スウェーデンに行かれて、ピンク色のポスターを見たら
「ああ。あの詩が載っかっている。」
と考えていただければと思います。・・・・・・
h ttp://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/1011
神野 直彦 (東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授)ですが
「まさかあの詩を読むとは・・・・」 と...
(引用終わり)


<精神障害、人格障害専門家、インドにおける障害児対策を研究した中町芙佐子氏>
代理母隠蔽で雅子妃の着帯奉告の儀に“元”東宮大夫 森幸男“元”東宮女官 中町芙佐子
宮中三殿参拝
http://ameblo.jp/mst9/entry-11466679966.html


イルミナティ 悪魔の13血流
(著:フリッツ・スプリングマイヤー 監訳:太田龍 発行:KKべストセラーズ)
十三血流周辺の二家
(P558,559 より引用)
■1984年のZ・スミス・レイノルズ基金の寄付先とその金額
カトーバ大学――7万5000ドル
チャペル・ヒル警察――3万7500ドル
チャイルド・ウォッチ――2万5000ドル
ウィンストン・セーラム連絡会(緊急相談サービス)――1万5000ドル
麻薬中毒審議会――2万7000ドル
エリザベス・シティー州立大学――5万ドル
グレーターー・グリーンズボロ児童家庭相談所レイプ家庭内暴力に対処)――5000ドル
公共ラジオの友――2万5000ドル(イルミナティはラジオにまで手を伸ばしている!)
ノースカロライナ州バプティスト総大会――8万5000ドル(地獄の沙汰も・…次第)
マーズ.ヒル・カレッジ――3万ドル
メレディス・カレッジ――9360ドル
モントリート・アンダーソン・カレッジ――1万7280ドル
モーゼ・H・コーン記念病院――3万1000ドル
ノースカロライナ公共政策研究センター――22万5200ドル(凄い!)
ノースカロライナ州人材部(里親情報)――1万2000ドル
ノースカロライナ州天然資源部――3万ドル
ノースカロライナ州社会教育部――10万3000ドル
ノースカロライナ病院・教育研究基金――5万213ドル
ノースカロライナ司法アカデミー――1万ドル
ノースカロライナ学校会議連合――7500ドル
アウター・バンクス・ホットライン(緊急相談)――5000ドル
ピット郡記念病院――3万5000ドル
グレーター・ラリー家族計画連盟――1万5000ドル(イルミナティ基金は常に家族計連盟の
大スポンサーだ。ヴァン・ダイン・ファミリーはニューヨーク家族計画連盟につながりがあった)
(引用終わり)


<SRA(加虐症・被虐症)で緊急相談センターに電話をかけさせて、捕らえられ子供を連れ
去られる>
イルミナティ 悪魔の13血流 
(著:フリッツ・スプリングマイヤー 監訳:太田龍 発行:KKべストセラーズ)
*―――――社会コントロールのためのレイノルズ・イルミナティ
基金
(P556,557,558 より引用)
...デューク、レイノルズ両ファミリーは非課税優遇処置を受ける各種基金を、納税を免れ、
資産を保持する隠れ蓑として利用している。
...基金は、諸ファミリーの息のかかった報道機関によって慈善的なものに仕立て上げれられる
が、その実態は、ここから出るほとんどの助成金がファミリー内のエリートに与えられ、
ファミリー
自ら
をうるおす仕組みになっているのである。
...
私がレイノルズ家関連の援助金について気づいた点は、彼らがその資金によって、
ノースカロライナ全域の緊急電話相談センターを意のままにしているということだ。
つまりSRA (加虐症・被虐症) から逃げのびてこの緊急相談センターに電話をかけた者は
例外なく、逃亡者を捕らえるためにイルミナティが仕掛けたにひっかかるというわけだ!
またあらゆる大学が補助金を受けていること宗教界でもバプティスト、メソジスト、非分派主義者、
長老派、世界教会派など多種多様な宗派が援助金を受け取っていることにも気づく。
驚いたことには、いくつかの政府機関までレイノルズ基金から金を受け取っているのだ。
ことに子供とかかわりのある社会福祉事業や、果ては警察までがレイノルズのを受け入れて
いることには驚きを禁じえない。
...
(P559 より引用)
...リストには政府機関も見られるが、ことにイルミナティが
確実に押さえておきたい部門には
手厚い経済的支援
がほどこされている
南北両カロライナ州、ヴァージニア州の住民たちは地元で贈収賄が行われているのは確実だ
としている。
(引用終わり)


小野薬品ハートセンターモルヒネ注射器麻薬強姦男は育てられたようにしか男を育てられない
メイソン輪廻
http://ameblo.jp/mst9/entry-12100810570.html


<現国際司法裁判所判事小和田恒氏の特別養子にされた雅子さんが現東宮妃となった1993年
6月のマインド・サイエンスの情報誌の特集 →幼児虐待、フィリピンの名の由来←フィリップ>
imago
(イマーゴ)1993 vol.4-6 六月号
一九九三年六月一日発行 発行所:青土社
(P94 より引用)
母として、女として。わたしの闘い
アメリカに於ける近親姦家族への介入と治療
ジョンソン由美子


一九八八年三月、二番目の一五歳の娘がまた家出してしまった。これでもう八回目である。
たまり場とおもわれる所や友達の家を捜し回った末、いつものように警察に届出た。
 私の家はサンディエゴの効外にある高級住宅地帯、海の見える高台にあった。
 夫ビル・ジョンソンは著名な心臓外科の医者で、私よりも年齢が二一歳も上である。当時
UCLAの留学生だった二三歳の私は、彼の優しさと頼りになる人柄に魅せられ、すぐに結婚
してしまった。当世風シンデレラなどと人からうらやましがられたこともあった。はたから見ると、
まるで幸せを絵にかいたような家庭だったかもしれない。次々と三人の美しい娘が出来た。
その娘たちがそろそろ年頃になった時、家庭の中に不思議な変化が起こり始めた。一七歳
になる一番上の娘リサは学校を無断でさぼることが多くなり、また友達の家にばかり行って
わが家にいる時聞が極端に少なくなった。そして二番目の娘、一五歳になるジェニーは高校
をやめてパンクの友達と夜な夜な遊びにでかける毎日になった。
 三番目の末娘ニコールは一二歳、勉強をよくする模範的な子供だったが、極端にカロリーの
少ないものばかり食べて拒食症の傾向がみえはじめた。
 夫と私は、満たされているはずのこの家庭に、どんな不足があるのか、娘たちの反抗に手
をやいてしまった。そしてリサとジェニーがどうやらマリファナなどの麻薬にひたっていることを
知った時、このむしばまれたアメリカの社会機構をのろった。とにかく麻薬をやめさせなくては
ならない。夫の知り合いの精神科の医者に相談をすると、ずっと効外の麻薬を治療する病院
に入れることにきまった。まず、家出癖のある手のつけられない二番目の娘ジェニーをなんと
かだまして車に入れて、それから病院


(P95 より引用)
まて連れて行かなければならない。運転免許を取りに行くという名目で、ジェニーを病院の中
まで連れて行き、後ろから鍵のかかる戸が二重に閉められた。その日から、まるで牢獄のよう
に外から完全に隔離された生活を送る所だった。だまされた事を知った娘は、閉ぎされた戸の
向こうで罵り泣き喚いた。夫と私は、過酷だがこうするよりしかたがなかったことだと言いながら、
後ろ髪を引かれるような思いで立ち去った。
 病院での治療は、ジェニーだけではなく家族ぐるみのものだった。毎週木曜日ファミリーナイト
といって家族全員が一室に集まって、セラピストと一緒にお互いの心の中を素直に話し合う事
から始まる。家族というものは、時として、一番近くにいながら心の中は少しも通じていない事
がある。このように意思の疎通がない家族の事は逆機能家族(Dysfunction Family)とよばれて
いる。
 それからしばらくするとジェニーはここでの規則正しい生活にすっかりなれて、あのつっぱった
顔もごく普通の少女のそれになっていくような気がした。
 そんなある日、病院に入って三週間もすぎた頃だったろうか、娘たちを抜きにして、夫と私
だけが別室によばれた。
 セラピストのサリバン博士は、深い面持ちで、低くしかしはっきりとした声で、私に問いかけた。
「貴方は、ジェニーが性的に弄ばれていたのを知っていますか。」
 私はとっさに、「誰に」と聞き返した。ジェニーがつきあっていた仲間はパンクグループで、中
には怪しげな人間も一人や二人いるのは当然だと考えた。
「貴方のご主人にです。」
 その後どの位の沈黙があったかしらない。実はその時、なんと反応したのかもわからない。
ただ確かなことは、世の中がひっくり返ったというか、天井が落ちてきたというか、突然、自分が
ただならぬ中に入ったという気がした。
 サリバン博士はさらに私に質問をした。
「貴方はそれを今まで、知っていましたか。」
「いいえ、全然知りませんでした。」
「貴方のご主人がそんな事をするなんて全く信じられないと思いますか。」
「言われてみれば、全く信じられない事ではありません。」
 私は自分でも考えられない言葉がでた。心は動転しているはずなのに、冷静に対処する自分
に驚いた。
「ということは、どうして言えるのでしょうか。」
「彼のセックスにたいする趣味です。アダルトビデオの収集です。」
 すぐそばに夫がいるのに、その反応さえ気にせず、淡々と語れたのは夫への復讐もあったの
だろうか。
 質問の鉾先は夫に向けられた。
「貴方は、貴方の娘ジェニーとセックスの関係を持ったのですか。」
「いいえ、触ったことはありますが、実際のペネトレーション(ペニスの挿入)はありません。」
「しかし、触ったことによって貴方はセックスの快感を覚えましたか。」
「はい、快感を覚えました。」
 私はこの忌まわしい言葉を平然と言う態


(P96 より引用)
度に、ただあぜんとしてしまった。サリバン博士はさらに質問した。
「今、貴方が考えていることは何ですか。」
「このことを知られて、妻が私を許してくれるだろうかということです。」
 その夜、私はどうやって帰途の道へついたか覚えていない。
     *
 その日からあわただしい数日が過ぎた。
 サンディエゴの警察児童保護局の命令で、夫はすぐに家を出なければならなかった。
とりあえず、身の回りの物だけを持ってアパートに引越した。
 また、児童保護サービスから児童福祉委員がやってきて、いろいろ細かいさしずをした。
例えば、夫が家の近く五〇メートル以内のところに来たら警察に知らせるとか、夫は全く
娘たちと会うことや、話しすることさえ出来なかった。
 私はこの突然の事態に、とまどいながらも、三人の娘たちのために、今こそ自分がしっかり
しなければならないと思い、押し寄せる感情をじっと押さえて、ただロポツトのように事務的な
ことをてきぱきとかたずけていった。
 ジェニーは、まだ病院で、重大な秘密を明かした後の後遺症が激しく、泣き喚く日々が続き、
防音装置のある特別室のベッドに縛りつけられる日もあったようだ。しかし、それがまた、心の
回復へ向かう手段だったようだ。
 このことが明らかになって一週間後、さらにまた新しい事実がわかった。モレスト(弄ばれた)
は、ジェニーだけでなくリサもそしてまた末娘のニコールも赤ちゃんの頃から始まっていたこと
を知らされた。あまりの驚きにがく然としながらも、私はすっかり肝をすえて、ただどうやって娘
たちを守ろうかということだけに集中した。
 まず、電話帳をめくって弁護士を見つけることから始まった。今まで何不自由なく暮らしていて
も今後の生活のことを考えなければならない。今までずっと年上の夫にべったり頼って生きてき
た私にとって何をしていいのか迷うばかりだった。
 夫と私は、裁判所と警察から強制的に、毎週ペアレンツユナイテットという近親姦の加害者と
被害者たちの集まりに出席することを義務づけられた。毎週水曜日の夜、七時から近くの小学
校の校舎をかりて、約五〇人近くの人達が集まる。出欠はそのまま裁判所に届けられる。
 まず最初の一時間は、加害者と被害者またそれに関係した家族が全部一緒になって丸く輪
を作る。ひとりひとり名字を抜いて名前だけで自己紹介をしたあと、加害者は自分がモレストし
た者の名前を告げる。アル中の人聞が自分をアル中だと認めるのと同じだ。中には、自己紹介
の時点ですでに感情の高まりを押さえきれず、泣き出したり、怒り狂ったりする人もいる。とくに
加害者と隣あわせに座っているということが刺激になるのかもしれない。
 次の一時間は、加害者ばかりの会合、被害者だけの会合、にわかれる。セラピストの司会に
よって会は進められるが、被害者の会に至っては、感窮まって泣き出す者、あまりにも怒りが
激しくて、その場にいたたまれなくなった者、隣の人に寄り掛かってすすり泣く者、生の修羅場
である。
 そして最後の一時間は、また被害者、加


(P97 より引用)
害者が一緒になる。加害者はほとんど全部男だが、中には、自分のやったことに、深く罪を悔
いて泣きくずれる者もいる。
 しかしほとんどの加害者は罪の意識が少なくて、ビルに至っては、折りたたみの椅子が座り
心地が悪いのか、身体をそりかえしている。その態度が大変横柄に見えて、被害者グループ
の一人の女性が糾弾した。
 ビルはこの会合に来るのを極端に嫌っていた。仕事上、沢山の患者を見るので、もしかしたら
自分の知っている患者に出くわさないとは限らない。そうすれば心臓外科医としての命がなく
なることを知っているからだ。
 この三時間は出席者一向精魂尽き果てるものだった。


 そんなある日、私は一通の手紙を受取った。地方検事からだ。早速、市議堂に出向き地方検事
に会った。
 近親姦はカリフォルニアの法律で児童虐待の罪で罰されることになる。私の夫も裁判の後、
何年か刑務所に入ることになると聞いて私はびっくりした。しかしそれは三人の娘たちが、
裁判で証明しなければ成り立たない。私は、まずビルに電話をして事情を話すと、もう、生きる
望みも無くなったと言ってうなだれている様子だ。もちろん、このことがあかるみに出れば、
外科医という職業も剥奪されることになるし、そうなると収入もなくなってしまう。
また、地方の新聞にスキャンダルとして出ることも考えられる。
 娘に相談すると、一番上のリサは、裁判で証明することを拒んだ。それぞれの娘たちは、
地方検事の前で、証明したくない旨を伝えたようだ。検事には、近親姦の加害者は、厳しい
処罰と長期間にわたる心理療法をしなければ、同じ罪を重ねる傾向があることを、再度忠告
された。しかし、娘たちと私の嘆願と裁判に出廷したくない旨を告げると、夫ビルはなんとか、
罪を逃れることが出来た。そのかわりに、セラピストが完全に治癒したと認めるまで長期間心理
治療を続けることが条件になった。
 八月のカリフォルニアの陽光は明るく、まぶしいばかりに裏庭のプールに輝いている。
 入院から三か月後ジェニーは病院を退院した。ジェニーは大きな秘密を守るという肩の荷
が下りたためだろうか、すっかり明るくなった。九月からの新学期には、私立の学校へ通う
ことが決まった。以前つきあっていたパンクの友達ともすっかり縁が切れた。妹のニコールと
一緒に、裏庭のプールの飛び込み台から元気よく飛び込んでいる姿を見て、私は一段落した
思いだった。
 児童保護サービスからは、毎週担当の人が、子供たちを見守るために訪れた。
 ジェニーの退院と同時に入院したリサも、とても順調で退院する日もそう遠くないようだ。
ビルと私は、それぞれの家から、水曜日の会合に出掛けた。
 私は、心の中に、とてつもない大きな問題を抱えながら、それに対処するすべを知らず、
渦巻く感情をただひたすらに押さえて、まるで何事もなかったようにふるまい続けた。
ビルの裏切りに対する怒りや絶望などのどろどろしたものを、自分の内から引っ張り出すの
は今の状態ではとても出来ないことだった。


(P98 より引用)
 テニス仲間のパーティや日本人グループの交際も、私達の家族に何が起こったかを誰にも
告げずいつものように着飾って、華やかに笑みをたたえ続けた。内心、自分はなんという強い
人間なのだろう、とこれだけのことが起こりながら、表面、何事もなかったようにふるまえる自
分に驚いた。
 これで病院からリサが帰ってくれば、家の中に父親のビルが抜けているだけで家族四人
平穏に暮らしていけると思っていた。
 九月になって新学期がはじまり、ジェニーは、厳しい規律のある私立の高校にかよいはじ
めた。そして頭のいいニコールは中学生になり成績は抜群だ。私は内心、この子だけ近親姦
の後遺症がなくて健全に育っているので安心した。
 一八歳になったリサも退院して、来年、短大が始まるまで、しばらくアルバイトをすることに
した。
 ビルは、瀟洒なアパートからひとり寂しく職場に通っていた。さびしがりやで賑やかなことの
好きな彼にとって耐えられないことだと知っている私は、彼から誘われるままに食事や映画に
出掛けたり、娘たちの誕生パーティーも一緒に祝った。高い費用と時間をかけてセラピーに行く
ことも止め、ペァレンツユナイテットという水曜日の会合に出ることも止めた。私は相変わらず
日本人社会の交際とボランティアの仕事に忙しい毎日を送っていた。
 このまま平穏な日々がすぎるうちに、あの忌まわしい出来ごとも娘たちの記憶から消え去って
いくことを願った。時が解決してくれると思っていたのだ。しかしながら、この一見、平和に見え
た状態は長くは続かなかった。
 まず、すっかり健全になったはずのジェニーが、学校を休む日が多くなった。なかなか夜寝つ
かれない様子で、翌朝起きれない。学校でも規則を破る行為が出てきた。結局、高校を中退
することになり、しばらくリサと同じようにアルバイトをすることになった。そのうちリサやジェニー
から私はおもいがけない罵倒をあびせられるようになった。
「ビッチ(この売女め)」とか「あんたが私の人生を台無しにした。」「あんたが私を殺したのも同じ
なんだよ。」
 私は何をやったというのだろう。モレストしたのは私ではないのだ。加害者ビルだというの
に、どうして私が責められなければならないのだろう。娘たち同様、私も被害者なのに。その
被害者の私は、不幸にめげず、一日も早く忌まわしい出来事をなかったものとして忘れて、
明るい生活に戻ろうとしているのに、なぜ責められなければならないのだろうか。しかも、娘たち
の父親であるビルさえなんとかして許してあげようと考えていたのだ。
「デナイヤル!」
 最後にいきつく言葉はいつもこれだった。
 デナイヤル(Denial)というのは、辞書でひけば、「否定」「否認」ということだが、私たちが使う
のは、もっと心理学的な意味をもっている。つまり現実に起こっている問題に目を向けず、なる
べくいい方に解釈して、事なかれ主義を貫くことだ。悪いものを見ても、見て見ないふりをする
ことでもある。
 私はデナイヤルと決めつけられても、他にどんな生き方があったというのだろう


(P99 より引用)
か。一日も早く家庭を普通の状態に戻すには、諸々の問題に目をつぶるより仕方がなかった
のだ。後は自然に時が解決してくれるものだと信じていた。
 しかし、時は解決してくれなかった。娘たちの心に、根おろしたものは、あまりにも深く、
私がはかり知れるものではなかったのだ。
 そして、もっとも安心していた末娘のニコールは、カロリーのあるものはことごとく避けて、
ほとんど食べなくなってしまった。みるみるうちに痩せて、顔色が悪くなっていき、学校の勉強
も手につかないようだ。
 長い問、無沙汰していたサリバン博士に電話をしてアポイントをとり、ニコールを連れて行き、
そこでまた驚いたことを知らされたのだ。
 ニコールは、これまで何度も、自殺未遂をやったというのだ。バスルームで左手首を剃刀で
切ったことがあるという。そういえば、いつも左手首にバンドエイドがはってあったことを思い
だしながら慄然とした。この子だけは、近親姦の後遺症がなかったことを喜んでいたのに、
私はまた奈落の底に引き込まれてしまった。
 そのうちさんざん悪態をついていたリサとジェニーがそれぞれ友達の家へ引越していった。
 もう、いろいろな問題に目をつぶることが出来なくなってしまった。
 私は、今までうやむやになっていた夫との関係をはっきりするため、弁護士を通して法的
に正式に離婚の手続きをして、三人の娘たちと私が生活出来る費用を確保しようとした。
二二年間も続いた結婚生活にピリオドを打つことは、ビルにとっても私にとってもつらいこと
だった。しかしこれはやらなければならないことだった。
 著名な心臓外科医である夫は収入が多かったので、私達が今の家を出てもっと小さい家
に住めば、なんなく生活出来るものを確保した。
 ビルは、今まで私たちが住んでいた丘の上の大きな家に移り、私たちは近くに新しい家を
買って移り住んだ。広々とした家でビルは通いのメイドだけの生活が始まった。
 正式に離婚をしたとはいえ、私達は相変わらず映画やお芝居を一緒に見たり、家族揃って
レストランでお食事をしたりする日々があった。さびしがりやのビルをあの広い家にひとりで
置くにしのびなかったからだ。
 ビルは、フロリダの貧しい家に生まれたが、両親共にアル中で、家族の愛情も知らずに育
った。それだけに、ひとりになること、孤独を人一倍恐れていた。実際に身体が触れる愛しか
信じられなかった。目には見えない心の愛や遠くにいて心が通じ合う愛など信じられない人
だった。
 そういう性格を充分に知っていた私は、少しでも家族全員が一緒になる機会をつくってやろ
うとしていた。
 しかしそれがまた、娘たちを苦しめているとは考えもしなかった。
 リサとジェニーは、友達との交際に忙しくて、私のすすめにも耳をかきず、セラピーには行こ
うともしなかった。一時間一〇〇ドルのセラピーにみんなをかけることは、経済的にもちょっと
無理だったので、内心ほっとしていた。


(P100 より引用)
 ニコールだけは、自殺願望が強く重症なので、サリバン博士のところに通っていた。私は
いつも心理治療所の待合室で、ニコールが終わって出てくるのを待っていた。
 ニコールが目を真っ赤にして出て来るのを見て、その心の傷の深きをあらためて知らされる
思いだった。
 私と娘たちの関係は、ますます悪くなるばかりだった。とにかく一方的に私を罵り、あげくの
はてに、
「それをずっと前から知っていたんだろう」
と言った。
 この You knew it という一言葉は私を貫いた。 it とはもちろんビルが娘たちをベビーの
時からモレスト
したことをさしている。
 なんというぬれぎぬを着せられたのだろう。私はそんなことを知っていたわけはない。
被害者である私が、加害者に加担していたように思われてはたまったものではない。
 外面、何もなく繕いながら、それと裏腹に私の心は、深く悲しみの底に落いていった。
     *
 サンディエゴには四季がありません。厳しい寒さの冬はなくても、ビルにとっては孤独に
さいなまれる冬だったのだろう。そして春になっても、家族のそれぞれが、深い苦しみと孤独
を持って過ごした。
 一九九一年の夏、ビルはこれ以上の孤独に耐えられなくなったのか、フィリピンの花嫁カタ
ログから
花嫁を選ぶ
ことを決めた。なんと六八歳のビルに結婚の申込が二〇〇通余りもきた。
みんな二〇代から三〇代の若い女性ばかりだ。
 八月のある日、夜中の三時、突然、電話がなった。何事かと思って受話器をとると、フィリ
ピンへ花嫁選ぴに行ったビルからだった。まるで蚊のなくような小きな声で、しかも、息も
たえだえ
に聞こえてきた。私は、ビルが心臓まひでも起こしたのかとおもってすっかり慌てて
しまった。
「ビル、大丈夫、身体が悪いの。」
「ユミコ、もう一度考え直してくれ。頼む、私と一緒になってくれ。」
嘆願は続いた。
「私のところに帰って来てくれ。もう一度やり直そう。私は君を愛しているんだ。もし君が帰って
くれないなら、私はここで結婚をするつもりだ。」
 それは悲痛ともいえる叫びだった。
 私は、あまりに突然で言葉を失ってしまった。フィリピンへ行ったのは花嫁捜しだとわかって
いたのだが、まさか一時間余りの出会いのあと、その場で結婚するとは想像もしていなかった。
それだけビルの孤独は深かったのだとわかった。
 しばらくして、ビルの身体に何も起こっていないことを知った時、私はやっと落ち着きを取り戻
した。
「ビル、それは貴方のライフだから、結婚するかどうか、自分で決めるべきよ。私は今更貴方と
結婚するつもりはありません。」
 きっぱり言い切った後も、これでよかったのか、また本当の自分の気持ちを言ったのかどうか
迷い、朝まで眠れなかった。次の日も次の日も、落ち着かない日が続いた。


(P101 より引用)
 ビルは、二三歳のフェイという女性と結婚した。
 一週間後、ビルはフィリピンから帰って来たが、花嫁は一緒ではなかった。六八歳のアメ
リカ人男性と結婚する若いフェイにはビザがアメリカ大使館からすぐにはおりなかったようだ。
 ビルは移民の弁護士をつけて、特別の計らいを受けるよう努力したので、結婚して半年後
に、ようやくフェイはロスアンジェルス空港に着いた。一九九二年三月のことだ。
 ビルがフィリピンで結婚した後も、実際にフェイがロスの空港に現れるまで、私はあの大きな
家でひとりで住んでいるビルを思いやって、機会あるごとにビルと行動を共にした。身近な友達
でさえ私たちがすでに離婚していることを知らなかったくらいだ。私は、現実に自分の身の回り
に起きていることを自覚できなかった。それどころか、自覚するのが恐ろしく何も考えず、今
までどおりの生活をする方が安易だったのである。
 しかし、その生活がうち破られる時がきた。
 その日、あの丘の上のビルの家は、ものものしく飾りたてられていた。フェイがいよいよ
家に入る日だ。玄関には、「ウェルカム フェイ」と書かれた大きな紙が張られ、中に入る
と色とりどりのバルーンが浮かび、また家中、美しい花で飾られていた。私は、一旦その
家を見たとき、なにかが足もとから崩れ去っていく衝撃にかられ、足早にそこを立ち去った。
 その日から、私の地の底に引き込まれるような暗い生活が始まった。
 自分の寝室のカーテンをひき、中を真っ暗にして、ただじっと座っていた。夜も昼もなく何
を食べていたのかも覚えがない。いつも見上げるのは、二階に通じる階段のてすりで、
そこにひもをつるせば、この息苦しい毎日の生活から逃れられるのではないかと考えてい
た。
 そんな時、たまたまジェニーが訪ねてきた。ジェニーは私の様子を見て何かを感じて、
サリバン博士に電話をして助けを求めた。私はサリバン博士からすぐに来るようにという
電話をもらった。私は久しぶりに、ナイトガウンから洋服にきがえて出掛けた。途中、通い
慣れた診療所への道を何度も間違えたくらい、深いノイローゼにかかっていたようだ。
 サリバン博士は今までの明るく冗舌な私と違って、ただ暗くだまりこくっている私を見て、静
かに言った。
「今、貴方は、人生のなかで重要だと思っていた人を亡くしたのです。喪に服しているのと同
じです。ユダヤ人は人が死ぬと、一週間真っ暗な部屋のなかで、ひとり小さな椅子に座って
喪に服する習慣があります。貴方は今それをやっているのでしょう。」
サリバン博士はさらに続けた。
「今まで貴方の身の上に起こったことを考えると、深いノイローゼ状態に陥るのはもっともで
すが、自殺をしようなんて考えてはいけません。今の貴方は、セラピーが必要です。いい女
性のセラピストを紹介してあげましょう。」
 そして、三つの電話番号を持ち歩くよういわれた。サリバン博士の自宅の番号と診療所の
番号、そして自殺ライフラインの番


(P102 より引用)
号だった。
 次の週から、私は女性のセラピス卜、デビタのもとに通うことになった。もともとセラピーという
ものを信じていない私は、無駄だと思いながら、今では藁をも掴む気持ちで始めた。
 デビタは、四〇代の太ったユダヤ系のアメリカ人だ。私は、初めて彼女を見た時、まるで典型
的な主婦のようなこの人に何が出来るのか、疑わしくおもった。一時間、私の過去、ここまでに
いたる経緯、現在の気持ちなど、あたりさわりのない話で終わったとき、一〇〇ドルのセラピー
費が無駄であったと感じた。しかしながら、やめてしまっては、このやりばのない感情を誰にも
打ち明ける人もなかった。
 今まで明るく社交的だった私だが、心を打ち明けて秘密がき守える友達は一人もいなかった。
アメリカに長く住んでいても、つきあっている仲間はほとんど日本人だった。またアメリカの地域
社会に住んでいる日本人は限られていて、一旦秘密がもれるとたちまち広がってしまうので誰
にも相談出来なかった。特に私が抱えている問題は、一般にもれれば、ビルの医者としての
生命もなくなるし、そうなれば私たち家族の生活も出来なくなってしまう。ここ数年すべて極秘に
過ごしていただけに、私の苦しみも大きかった。そんな時、デビタだけが心おきなく話が出来る
人だった。
 数回セラピーを重ねていく内に、私の心も少しずつ開いた。始めのうちは、ただ不合理を訴え
た。
どうして加害者のビルが、若い花嫁と一緒になって幸せになったのにひきかえ、私は夫を失い、
娘たちからも罵られる生活をしなければならないのか涙ながらに訴えた。続けているうちに、出口
のないビンの中に押し詰められていた混然とした感情が、誰かに聞いてもらうことによって少し
ずつ整理され冷静になっていくのがわかった。
 ある時は、セラピストが用意した質問に一つ一つ正直に答えているうちに、今まで見えなかった
ビルの性格がはっきりとわかってがく然としたこともあった。彼は、巧妙に人を操る(Manipulate)
のが上手な人間だということ、私はうまうまと彼に操られていたことなどがわかった。
 またある時は、デビタと一緒に床にすわって、用意されたマジックペンで紙に手当り次第にかい
た線を使って何かの絵をかいた。私は、不用意に描かれたぎざぎざの線を利用してちょっと変わ
ったひまわりの花をかくことにした。黄色のクレパスで画面いっぱいに色をぬった。真ん中の芯は
もちろん黒だ。黒のクレパスで塗り始めたのはいいのだが、私の指は、まるでそれ自身、意思で
もあるようにぐるぐる回って留まらないのだ。まっ黒な芯は段々大きくなり線をはみだしてしまっ
た。
なんという醜いひまわりだろう。セラピストと私は、その絵を見てびっくりしてしまった。絵の真ん中
を占めるまっ黒な醜いもの、これはなんだろう。
 私の心の中にあるまっ黒なものはずっと前から気がついていたように思う。それは多分、ビルと
結婚した時からあったような気がする。ただ私は、それを認めたくなかったのだ。自分に都合の悪
いことは、否定
したかったのだ。
 その時、娘が罵った言葉が頭に浮んだ。
「デナイヤル!」


(P103 より引用)
     *
 そう言えば、結婚してしばらくした頃から、この黒い雲がいっとはなく心の中にかかっていた
ような気がする。それは、単に未来にたいする不安だったのか、ビルに対する疑念だったのか
わからない。あまりにも、お互いの考え方がかけ離れていた。特に、セックスに関しては彼は
自由奔放だった。当時は一九六〇年代の終わりから一九七〇年代のはじめで、アメリカは
ヒッピーの擡頭と共に性の解放が叫ばれている頃だったから、日本の田舎から来たばかりの
弱冠二四歳の私は、この新しい時代についていこうと努力していた。そして、ビルと私の極端
なギャップも、多分国際結婚をする者は誰でも経験することだと思っていた。
 ビルは、ポルノのビデオを収集するのが趣味で、また、幼児から一〇歳足らずの少女の髪
の毛をいじったり、可愛い少女を見ると奇声をあげたりした。何も知らない私は、これも一つの
性の解放だと思っていたくらいだ。つい最近知ったことだが、これを精神分析上では、小児愛者
(Pedophile) と言うそうだ。
 このことが、黒い疑念となって雲のように私を覆っていたのだ。しかし私はいつも否定した。
黒い疑念を追及するなどもっての他だった。それは私が育った家庭環境によるところも大きい
とおもう。
 山陰のまだ封建社会が残る田舎に生まれた私は、主人を疑うことを知らなかった。
また、母が信仰する宗教生長の家」の影響を知らず知らずのうちに受けていた。現象は心の
影、何か悪い物に見えるのは自分の心が曇っているからだといつも言われた。ないと思えば、
ない。あると思えばある
。この都合のいい言葉で私はこの黒い雲を徹底的に否定した。
でもあのひまわりの絵には、ないといくら打ち消しても、黒い雲は歴然としてあったのだ。そう。
私は娘たちが、罵ったようにデナイヤルだったのだ。
 診療所から帰った私は、ニコールにこのことを告げた。彼女は何か深い面持ちで聞いていた。
 その日から、心なしか娘たちとの関係がとてもスムーズにいくような気がした。私の心が変わ
ったのか、娘たちが私を受け入れてくれたのかわからない。気がついたら、自分には、なんと
素晴らしい娘たちがいるのだろうと幸せな気持ちになっていた。
“Thank you for being my daughters” (貴女たちが私の娘であって有難う。)と言いたくなった。
 私は、ノイローゼから脱出したようだ。ビルとフェイが住んでいるあの丘の上の白い家にも
近づかなかった。
 これから私と娘たちの健全な生活が始まるのだ。
       *
 一九九三年二月サンディエゴには珍しく冷たい雨が振り続いた。
 ビルとフェイに月足らずの可愛い女の子の赤ちゃんが誕生した。父親は七〇歳、母親は二五歳
だ。
 地方児童保護局は、早速、ビルを新生児から引き離すため、書類を持って丘の上の白い大き
な家に向かった

(引用終わり)


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